動物好きが動物の本の感想を書いていく一人語りシリーズ。
今回紹介する本はある意味時事ネタで、2002年初版ながらなんと、現在書店の雑学カテゴリー7位にランクインしています。
今回紹介するのはアイヌのクマ猟師、姉崎 等さんの『クマにあったらどうするか』です。
姉崎さんの半生とクマの実態を語った自伝
この本が再注目されたのは、札幌市南区のヒグマ出没事件に関連してのことかと思いますが、この本はヒグマへの対処を解説するHOW TO本ではありません。
アイヌと倭人のハーフとして生まれ、アイヌのクマ撃ちとして生きている姉崎 等さんの生き様を、アイヌの研究家でもある片山 龍峯さんがインタビューする形で記されています。
片山さんが姉崎さんへのインタビューを決めた動機も、アイヌの狩猟文化について調べていたことがきっかけで、当時すでにほとんど行われていなかったヒグマの送りの儀礼も行っている姉崎さんを人づてに知っていて、「幻の人」として興味を持っていたことがきっかけだったと記されています。
かねてから自分の体験記を出したかった姉崎さんと、その姉崎さんを幻の人と考えていた片山さんが偶然であったことで生まれたある意味奇跡の一冊と言えるかもしれません。
最終的にクマとはどういうものなのかがわかる
私も、祖父の所有する里山付近にヒグマが頻繁に出没するようになり、まさに「クマにあったらどうするか」が知りたくて購入したのですが、読み始めたときすこし拍子抜けしたことを覚えています。
ヒグマと隣りあわせで生きてきたアイヌのヒグマ対策を知れたらどんなに心強いことか、そう思っていた私は、冒頭の自伝部分を読み飛ばしても良かったのですが、どこか読みにくく生々しいインタビューの書き起こし方に、むしろ「お金を出したんだからどんなものでも読みきってやろう」という読書家の反骨精神のようなものをくすぐられて読み進めているうちに、のめり込んでその日のうちに3度も読み返していました。
というのも、あくまでHOW TO本ではないものだから、求めている情報が箇条書きや、見出しごとにわかりやすく紹介されているわけではないんです。
自伝のテープをそのまま書き起こしたような生々しい会話の中に、ところどころ私の求めていたことが書いてあるので、なんども読み返さずにはいられなかったのです。
例えるなら、最初の一周はまるで砂金堀でもしているかのような感覚で読み進めていました。
たまに行き着くヒグマの話も、求めている情報かどうか、必要な情報かどうかは別で、あくまで会話の中で出た情報に過ぎません。
片山さんもうちょっと掘り下げてよ!という部分があったり、良くぞ聞いてくれた!という部分があったりと、いつのまにか2人の会話に参加しているかのような感覚で楽しめました。
不思議なもので、それであっても何度も読み返していると、自分の中のヒグマへの理解が深まり、「もしかしてヒグマに会ったらこうしたらいいのでは」という考えに行き着けたので、結果的にこの本を買った目的は達成されていました。
ヒグマ情報だけではもったいない
歯に衣着せず言えば、この本はタイトルがもったいないです。
というのも、姉崎さんが語る話の中には、ヒグマだけでなく、ほかの生き物との関わりにも興味深いエピソードが多いからです。
もちろん人間もそのひとつですが、私が興味深かったのがカラスです。
カラスが賢いことは漠然とイメージできるかと思いますが、アイヌは猟のなかでカラスと協力するような関係があることも語られています。
ヒグマ対策のためにこの本を手にした方も、ぜひ全体にしっかり目を通して、現代人の自然との関わりがいかに軽薄かを感じ取っていただければと思います。
私がこの本に出会ったのは数年前で、当時祖父のライフワークでもあったアイヌの文化の研究のために、アイヌの根幹でもあった自然との関わり方を知りたい思った私は、ぜひ姉崎さんに直接会ってみたいと思い、姉崎さんの住む千歳の知り合いの伝を頼ってなんとかコンタクトを取れないかと奔走しましたが、残念ながら2013年に姉崎等さんは亡くなったことを知りました。
姉崎さんは口が達者なほうではなかったそうですが、その語り口には暖かさがあり、それは人だけではなく自然へも向けられていたと聞きます。
現代の日本人は口が達者であっても温かさを感じられず、私はそんな世の中に違和感を感じながら生きているので、姉崎さんと是非一度お会いしたかったと落胆したことを、書店でこの本を見かけたことで思い出しました。
今後もこの本を時々読み返し、姉崎さんに習って拙いながらも人間の暖かさを自然に向けられればと思っています。